日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・名護屋城編(佐賀県)】 破却された石垣が伝える「幻の名城」栄枯盛衰
江戸時代に入ると、名護屋城が唐津藩に領有されるにともない、初代唐津藩主・寺沢広高によって、名護屋城天守は破却 (はきゃく) されました。さらに、天守台の石垣も江戸時代初期に寺沢広高により破壊されたと推定されています。江戸時代には唐津藩によって「古城番」が置かれ、管理されていました。使われなくなった名護屋城の用材は、唐津城(佐賀県唐津市)の築城時に転用されたと考えられています。唐津城は、九州諸大名の加勢を受け、唐津城は慶長7年 (1602)から7年かけて完成。その後、唐津藩の中心は、名護屋城から唐津城へと移ります。
名護屋城も、寛永14年(1637)に起きた島原の乱の後、石垣が徹底的に壊されてしまいます。それは、廃城であった名護屋城が、原城のように利用されることを防ぐためだったと考えられています。 天草四郎を盟主とする一揆軍は、廃城だった原城(長崎県南島原市)に籠城し、幕府軍は攻略に大苦戦しました。一揆鎮圧後、原城は、一揆軍や反乱軍に二度と使われないように徹底的に破壊されました。壊された石垣跡にみる破却の手順には理由が
隅部分が破壊された状態で残る名護屋城三ノ丸石垣名護屋城の破却された跡からは破却の手順がうかがえます。まずは石垣の隅部分と天端石 (てんばいし) (石垣の最も上部に積まれた石)が破壊されました。これは、隅部分や天端石を失うと、塀や櫓を建てることができず、石垣の役割を果たさなくなるためです。このほか、名護屋城には、隅部分を破壊した跡や、天端石を壊したためV字型に石垣が崩れている箇所が残っています。破壊された石垣をもとのように復元するだけでなく、破壊された状態でも整備しているのは、名護屋城の置かれた特異な歴史を伝えるためです。
無料タブレットでバーチャル登城
タブレットを両手に足取り軽く名護屋城を歩く子どもとはいえ、往時の名護屋城の姿を見たいという方も多いと思います。そんな方におすすめなのが、城郭の様子を再現したアプリケーションソフト「バーチャル名護屋城」です。「バーチャル名護屋城」では、安土桃山時代を代表する絵師・狩野光信 (かのうみつのぶ) が描いた『肥前名護屋城図屏風』を基に綿密な時代考証を経て、城郭の様子を再現。VR(コンピューターで作り出す仮想現実)で復元された名護屋城の姿が楽しめます。
名護屋城見学前に立ち寄りたい佐賀県立名護屋博物館名護屋城博物館、武将たちの陣跡、ひと足のばして唐津城も楽しみたい
陣跡を示す案内板には大名の名前がずらりと並ぶ佐賀県立名護屋城博物館では、名護屋城に関する展示の見学もおすすめ。『肥前名護屋城図屏風(複製)』や、復元された日本の軍船「安宅船 (あたけぶね) 」、朝鮮の軍船「亀甲船 (きっこうせん) 」などの資料のほか、桃山文化や出兵を通じて日本にもたらされた文化に関する展示が揃います。また、朝鮮半島に築かれた「倭城」に関する展示も見逃せません。
唐津城築城の際には名護屋城から用材を転用したといわれている 住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋 電話番号:0955-82-4905(佐賀県立名護屋城博物館) 入城料:100円(歴史遺産維持協力金) アクセス:JR筑肥線「唐津」駅から徒歩約7分(600m)、昭和バス唐津大手口発 昭和バス値賀・名護屋循環線呼子行きなどで 約35分「名護屋城博物館入口」下車、徒歩約5分 佐賀県立名護屋城博物館 住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3 電話番号:0955-82-4905 入館料:無料(特別展示は有料) 休館日:月曜(祝日の場合は翌日) アクセス: JR筑肥線「唐津」駅から徒歩約7分(600m)、昭和バス唐津大手口発 昭和バス値賀・名護屋循環線呼子行きなどで 約35分「名護屋城博物館入口」 下車、徒歩5分 執筆・写真/ 藪内成基(やぶうちしげき)国内・海外で1000超の城を訪ね、「城」をテーマに執筆・ガイド。著書『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社、2021年)。『小学館版 学習まんが日本の歴史 6~8巻』(小学館、2022年)、『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング、2020年)などで執筆。日本お城サロン(まいまい京都主催)を運営する。