. 2018・8 「秋野」 - nihonganomori’s blog
2018・8 「秋野」 - nihonganomori’s blog
2018・8 「秋野」 - nihonganomori’s blog

第二十五章 2018・8 「秋野」

日本人にはそう言った感覚は無い。何事も情緒的に捉える。二者択一ではなく 全てを許容して疑問を持たない。それは明らかに日本の気候風土 日本の土壌が培った感覚であろう。理屈は所詮人間が作ったものである。日本人は人間の作ったものではなく自然を重んじた。自然から感じ取ったた事に従って行けば 世の無常が血に沁みて来る。そういった種族ではないかと思う。加山先生は日本人は非力で 好戦的な種族から追われ 逃れて来たのだと事あるごとに仰る。「そうでなきゃ 月を見上げては嘆き 鹿が啼いては悲しいなんてことは有り得ない。もののあはれなんだ 日本人は」と。

前本は縄文土器を見ると この時代から日本人が如何に繊細で感覚的であったかを思い知らされると言う。日本人の感覚は淡泊で 細い 薄い 儚い しかし決して脆弱ではない 堅固で純粋な精神に裏打ちされたものである。本来 日本画の美しさ 良さはそこにある。今では 表面を取り繕う事ばかりで 噓と余計なものだらけの日本画ばかりである。本来の美しさを失った。深さ 品格 目には見えない内面の豊かさと言った本物に触れる喜び 愉しみを省みるべきである。

何という品の無い 何という浅ましい 何という卑しい。それを画商は得々としてそう言い 最先端の表現をした自分に満足至極の風情であった。軽率。

それからは何かといえば発信 テレビも雑誌も猫も杓子も発信だ。前本に 「何でこんなに嫌なんだろう」と聞いた。「そりゃあ 欲だからだ。人の欲を見せられるのは嫌なものだ」

モデルの仕事の為に 初めて加山先生のアトリエに伺った私に先生は 「昨日の夕飯に何を食べたのか解るような女にだけはならないで頂きたい。それが一番みっともない。貴女にはそのことが良く解るはずです。」と仰った。私はこの方のモデルなら自分を発揮できると思った。共通の美意識を持つ人に巡り合える事は稀である。

📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎