. Serial experiments lain』 考察メモ(3)前編 13話解釈のための問題設定と予備分析 - 萵苣猫雑記
Serial experiments lain』 考察メモ(3)前編 13話解釈のための問題設定と予備分析 - 萵苣猫雑記
Serial experiments lain』 考察メモ(3)前編 13話解釈のための問題設定と予備分析 - 萵苣猫雑記

『serial experiments lain』 考察メモ(3)前編 13話解釈のための問題設定と予備分析

もちろん、私はこの記事にそんな「正当性」なんて求めませんし、私程度の記事がこの作品に対する未だ根強い人気に冷水を浴びせることができるだなんて考えることすらおこがましいです。しかし、それでも、何か作品の方から導いてくれるものがあって欲しいと思うのです。ある作品を見たとき、誰もが抱くであろうと信じている、「よく考えてみなければならない」あるいは、「よくわからないけど、ここには本当に大事なことが述べられているような気がする。そして、それは解き明かされるべきだ」という直観は本当に無意味で無根拠なものなのでしょうか? あるいは、それは口さがない人達が言うように、ペダンティックな中二病患者を釣るために製作者によってまかれた餌にすぎないのでしょうか? 私がほしいのはこのような意見に対してたとえ弱々しくても反論できるような何かです。

本考察記事の目標設定 13話で提示された問とその答えは何を意味しているのか?
  • 「考察の正当性」 何はともあれ、問題とその解答は形式的に与えられたのだから、それを形式的に、つまりは比較的論理的な方針で解きあかそうとする試みは咎め立てられるものではない。解答を提示しないまま読者への挑戦状だけで終わったミステリーに対して私達が意見を述べることができるように、私達もこの問を解こうとする限りにおいてこの作品を「考察」してもよい。この問は開かれている。
  • 「考察の終点」 もし、作品に対する「考察」なるものを「作品に対する考究」と定めるなら、それは終わりないものとなる。しかし、作中である問題が提示され、それを解くことを目標として掲げるなら、その行為の終了を持って「考察」に一段落つけることができる。ある程度明確なゴールを設定できることは本作のようにさまざまな解釈を許すような作品を扱ううえでは大きい。よくわからないさまざまなものの中で、確実に説明できなければならない小領域を切りなはせることは重要である。
  • 「考察の方針」 私たちは問も答えもすでに手に入れている。それなのに、何故それがわからないのか? 簡単である。「そもそも何を問うているのかが理解できていない」、「さらに、問がどのような答えを要請しているのかも理解できていない」、「問と答えは分かったがそれがどのように導かれたのかが理解できない」…… さらに重ねて、「何故問が理解できないのか」、「何故…」、と繰り返していくことができる。これは難しい問題だが、例えば今回のような場合は指示語や指示対象を明らかにする、どんな言葉で問われているか、その言葉は作品中でどのように使われたのか、など、可能な限り今あるものを綿密に分析することが初手であることは間違いない。
問の予備分析

「ーーえっと、私またわかんなくなっちゃって…… 私がいるの、こっちなのか、そっち側なのか。 私、そっち側のどこにだっている。それは知ってるの。だって繋がってるんだもの。でしょ? でも、私の、本当の私のいるところってどこ? あ、本当の私なんて、いないんだっけ。私は私の存在を知っている人の中にだけいる。けど、それだって、今こうやってしゃべっている私は、私、だよね? この私って、私って、誰?」(13話冒頭 平仮名だと読みづらいので「あたし」を「私」に変えました)

この問のさしあたりの意味 私たちはゼロから始めなければいけないわけではありません。前回までの記事で行った考察(正確には「前-考察」)によって、私たちはすでにこの問の大まかな意味、さしあたって分析を進めていくのに必要な意味は理解できています。だいたい次のような感じです。

「また」わからなくなる 「また」、という言葉の存在によって、この問は本編と同じ時間軸で発されたものだということができます。少なくとも、この問が、常にこの作品をこのままの形で貫いていたような無時間的な問ではないということです。この問には、本編とリンクした時間軸において発せられるあるタイミングがあり、状況によっては発することができなかったりするわけです。

「こっち」と「そっち」 発せられた状況からすると、視聴者から見て、こっち=画面の向こう側、そっち=画面のこちら側、と考えるのが普通かもしれません。が、はたして、この作品にそんなメタな視点を持ち込む必要があるかはまだ疑問のままですし、これがファイナルアンサーだという確証はありません。解答が「私はここにいる」である以上、「ここ」と「そこ」に意味を与えることは、この問題を解くことと等しいわけです。なので、この言葉の意味は今の段階では踏み込むべきではないでしょう。同様に、ワイヤード/リアルワールドのことだと考えることもできますが、今の段階では深くは追わないことにします。

繋がっているからそっち側のどこにだっている そっち側のどこにだっている、というのは、lainのことでした(一回目の記事参照)。逆に、「そっち側」とはlainがいる場所だということになります。 繋がっている、というのは、lainが玲音と繋がっていること、玲音がlainを手足のように使役できることでしょうか。とりあえずの理解はこんな感じでいいでしょう。

本当の私はいない、私は私を知っている人の中だけにいる 「本当の私」とは玲音のことです。文章全体は英利の思想を意味します。具体的には前記事で引用した12話の玲音の発言を見るわかりやすいです。

またわからなくなる 説明の都合で最後に回しました。「またわからなくなる」ということは、ある地点でわからなくて、それが一回わかって、それがさらに「またわからなくなる」ということです。ただでさえよくわからない作品なので、こういう考えればわかりそうなところはきちんと詰めていくべきでしょう。

「なあんだ、そうだったんだ。世界なんてこんなに簡単なものだったの。あたし全然知らなかった。あたしにとって世界は、ただ怖くって、ただ広くって……、でもわかっちゃったら、何だかとっても楽……」(12話)
  • わからなかったとすると、わかる前は、この場面の前あたりでしょう。具体的に指摘するのは難しいですが、とくに誤解なく理解していただけると思います。そのとき、彼女は「あたしにとって世界は、ただ怖くって、ただ広くって……」と思っていたことも指摘しておきます。
  • またわからなくなった 同じく、12話に、「わかんないのは、あなたのこと、神様」とあります。これが直接的に指示しているのは、英利に「権利」を与えたのは誰かということです。この「わからない」はその直前にありすの行動の影響を受けての言葉であることも指摘しておきます。

さて、問の方の分析はだいたいこんな感じになりました。 ミクロに見すぎたので、少しマクロに、大雑把に捉えてみましょう。結局問われているのは何でしょうか。「私は何か?」と「私はどこにいるか?」です。では、この2つの問に答えればいいのでしょうか? 実はもう少しだけ複雑です。そのために、まずどんな答えが得られたのかも分析してしまいましょう。

📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎