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新富町の割烹「躍金楼(てっきんろう)」は創業明治で「山岡鉄舟」が命名

「山岡鉄舟」 は、 剣、禅、書 に通じた幕末・維新の英傑です。旗本・小野家の四男として1836年(天保7年)に生まれ、槍術の師山岡静山の家を継ぎました。戊辰戦争の際は江戸に迫る官軍の陣地に単身乗り込み、 西郷隆盛 と直談判して 江戸城無血開城 の合意を取り付けました。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と西郷が称賛した人物です。維新後は 明治天皇 の 侍従職 などを務めました。明治政府の維新勲功調査では自らの偉業を主張せず、生涯無私無欲を貫きました。

江戸城無血開城

1868年(明治元年、33歳) 徳川慶喜の命 を受けて単身で静岡にある官軍の陣地に 西郷隆盛 を訪ねました。官軍からは城の明け渡し軍備を解くことなどに加え、徳川慶喜を備前藩に預けることが要求されましたが 山岡鉄舟 はこれを拒否し、徳川家の安泰を守りました。この際西郷が発した言葉が 「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」 だと言われています。

明治天皇侍従

1873年(明治5年、35歳) 西郷のたっての依頼 により、宮中に出仕し10年間の約束で 侍従 として 明治天皇 に仕えました。侍従時代、深酒をして相撲をとろうとかかってきた明治天皇をやり過ごして諫言したり、1873年(明治6年)に皇居仮宮殿が炎上した際、淀橋の自宅からいち早く駆けつけたりするなど、剛直なエピソードが知られています。

禅、剣、全生庵

1880年(明治13年、45歳)には、禅では天竜寺滴水和尚の 印可 を得て、剣でも無敵の境地に達し 無刀流 を開きました。1883年(明治16年、48歳)維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山 全生庵 を建立しました。

墓所、殉死

1888年(明治21年、53歳)座禅のまま大往生を遂げました。葬儀の 葬列 は、前もって 明治天皇 の内意があったので 皇居前で10分 ほど止まり、明治天皇は 目送 されたとされています。

門人の中には墓前で 殉死 する者が何人も現れ、殉死の恐れがあるからと警察に保護される者もいたとされます。 「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない」 と思わせるほどの「鉄舟の死」でした。

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