B’zの作曲方法について徹底解説
「B’z」では、ギター・松本孝弘が全ての楽曲を作曲し(1st AL『B’z』収録「孤独にDance in vain」除く)、ヴォーカル・稲葉浩志が全ての楽曲の作詞を担当している(1st AL『B’z』収録「Nothing To Change」除く、DIGITAL SG「Into Free -Dangan-」はシェーン・ガラースとの連名)。この担当分けはデビュー当初、”自然と決まった”ことであるというが、これまでの各インタビューでは、具体的に以下の理由が挙げられている。
松本が作曲、稲葉が作詞を担当するようになった理由- ギターを弾く人が曲を書いて、歌を歌う人が詞を書く、という形が自然だったから。
- 当時、松本が売れているバンドを研究したところ、リアリティのある人たちが売れていると実感し、歌を歌う人が詞を書くというスタイルが ふさわしいと考えたから。
- バンドが解散する理由は”ギャラの配分”が異なることであるケースが大半だ、という松本の認識から、作曲と作詞をそれぞれ担当することでそれを防ぐことができると考えたから。
ちなみにデビュー当時、松本は、アマチュア時代に多少曲を書いた経験を持っていたが、一方稲葉は、全く作詞の経験がなかった。よって、特に2nd アルバム『OFF THE LOCK』(1989.05.21)までは作詞作業が難航を極め、ディレクターらからの”ダメ出し”が相次いだことなどから、稲葉は当時、レコーディングで大変苦しい想いをしたという。
B’zの曲は「曲先」で出来上がる 松本孝弘の鼻歌とアコースティックギターの伴奏の弾き語りから
また、曲はメロディの断片などによって作られるが、ギターリフ主体で作られるものもあれば、「LOVE PHANTOM」(18th SG 1995.10.11)のようにイントロのストリングスアレンジから作られるものもある。ちなみに、「Warp」(12th AL『GREEN』 2002.07.03 収録)はB’zの楽曲としては異例の「詞先」(しせん)方式にて、制作された。
稲葉浩志がメロディを聴いて作詞に取り掛かる
編曲はアレンジャーとともに 95年からは稲葉も参加
B’zは、1st ミニアルバム『BAD COMMUNICATION』(1989.10.21)以降はアレンジャーと松本の共同編曲、16th シングル「ねがい」(1995.05.31)以降はアレンジャーと松本・稲葉の共同編曲、というスタイルを、主に採用してきた。(10th アルバム『Brotherhood』(1999.07.14)など例外あり。)なお「ねがい」では、デビュー当時からの制作体制「B+U+M」を解体して編曲に稲葉が初めて参加した(”B’zは2人である”ということに立ち返った)ことから、松本はこれを後に”ターニングポイントだった”と振り返っている。
具体的には、90年代前半には松本とアレンジャー・明石昌夫が中心となって編曲を行い、また90年代後半以降は各アレンジャーと松本・稲葉両者が意見を交わしながらアレンジを進めてきた、と言えるだろう。(一方で、20th シングル「Real Thing Shakes」(1996.05.15)、11th アルバム『ELEVEN』(2000.12.06)などでは海外の外部プロデューサーを立て、作業を一任することで彼らからノウハウを吸収したこともあった。)また、アレンジについてディレクターやサポートメンバーからの意見が反映されることも、多々ある。さらに、楽曲によっては複数のアレンジャーに編曲を依頼し(13th AL『BIG MACHINE』 2003.09.17 では、初めてコンペ形式が採用された)、より良いアレンジを作品として採用する、というケースもあった。(また中には、複数のアレンジャーが制作に関わった楽曲「Calling」(22nd SG 1997.07.09)などもある。)
松本が楽曲の肝となるイントロなどを作ることもある(9th シングル「ALONE」 1991.10.30 など)が、一方で、曲調全体がアレンジャーの影響を受けることももちろん多い。そのためもあってか、B’zのアレンジャーは、結果的に数年周期で変更されてきている。
VERMILLION RECORDS(J)(D) \この記事をシェアする/ \SNSをフォローする/ B’z配信ライブ「5 ERAS 8820」のスタッフTシャツ、販売開始 B’zとミュージックステーション(Mステ)について