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水滸伝をあらすじでざっくりと分かりやすく解説してみる【3分で理解】

当時の医療技術では対処出来ないことばかりだったので、 仁宗 ( じんそう ) は 竜虎山 ( りゅうこざん ) に住んでいる 張天師 ( ちょうてんし ) に頼むことにしました。そこで使者として 太尉 ( たいい ) の 洪信 ( こうしん ) を派遣しました。 竜虎山 ( りゅうこざん ) で仕事を終えた 洪信 ( こうしん ) は翌日、近くの 道教 ( どうきょう ) の寺院を見物していました。

すると、「 伏魔殿 ( ふくまでん ) 」という建物が目に付きました。 伏魔殿 ( ふくまでん ) には、たくさんのお札が貼ってあります。

寺院の人によると中に魔物が封じ込められているとのこと。面白半分で 洪信 ( こうしん ) は 伏魔殿 ( ふくまでん ) を開きました。すると急に明るくなり、一斉に光が飛び出しました。 寺院 ( じいん ) の人の話によると、中には108の魔物が封じられていたのでそれが世に放たれたとのこと。恐ろしくなった洪信は都に帰りました。

王進逃亡

さて、時は流れて北宋第8代皇帝 徽宗 ( きそう ) の時代になります。この時代に政治が大いに乱れました。そんな中で、遊び上手なことで出世した男がいました。男は 高俅 ( こうきゅう ) と言います。 高俅 ( こうきゅう ) は遊び上手であったことから、 徽宗 ( きそう ) に気に入られて半年で 太尉 ( たいい ) になったのです。高俅は自分が太尉に就任したので部下を全員集めましたが、1人だけ来ていない人がいました。その人物は 棒術師範 ( ぼうじゅつしはん ) の 王進 ( おうしん ) です。 王進 ( おうしん ) は病気で寝込んでいる最中でしたが、怒った 高俅 ( こうきゅう ) は無理してでも出るように伝えました。

復讐をおそれた 王進 ( おうしん ) は、母と一緒に都から逃げ出しました。

史進との出会い

逃げた王進でしたが、途中で母の具合が悪くなりました。 華州 ( かしゅう ) 華陰県 ( かいんけん ) (現在の 陝西省 ( ふせんせいしょう ) 華陰市 ( かいんし ) )史家村に到着した王進は、そこの村長にお願いして、母が回復するまで宿をお願いしました。幸いにも村長が善人だったので、 王進 ( おうしん ) は助かりました。そこで王進は1人の若者に出会いました。

若者の名は 史進 ( ししん ) と言い、村長の息子です。背中に9匹の竜の刺青をしていることから、 九紋竜 ( くもんりゅう ) というあだ名が付いていました。

晁蓋の賄賂強奪

その後、史進・ 魯智深 ( ろちしん ) ・ 林冲 ( りんちゅう ) 等の 豪傑 ( ごうけつ ) の単独のストーリーが続きます。

しかし、これらは飛ばし読みしても問題ありません。話は 晁蓋 ( ちょうがい ) という人物に行きます。 晁蓋 ( ちょうがい ) は 鄆城 ( うんじょう ) 県(現在の 山東省 ( さんとうしょう ) 菏沢市 ( かたくし ) 鄆城県 ( うんじょうけん ) )の村長です。武芸に長けた人物であり、 托塔天王 ( たくとうてんおう ) と呼ばれています。 托塔天王 ( たくとうてんおう ) は 毘沙門天 ( びしゃもんてん ) という意味です。 晁蓋 ( ちょうがい ) はある日、 劉唐 ( りゅうとう ) という男から密告が入りました。 劉唐 ( りゅうとう ) はこめかみに赤い痣があり、そこから赤毛があることから、 赤髪鬼 ( せきはつき ) と呼ばれています。おそらく、異民族とのハーフでしょう。

劉唐の情報によると 北京大名府 ( ほっけいたいめいふ ) (現在の河北省邯鄲市大名県)から 宰相 ( さいしょう ) の 蔡京 ( さいけい ) に賄賂が贈られることでした。正義感にあふれる晁蓋はその賄賂を許せずに、劉唐・ 呉用 ( ごよう ) ・ 阮小二 ( げんしょうじ ) ・ 阮小五 ( げんしょうご ) ・ 阮小七 ( げんしょうしち ) ・ 公孫勝 ( こうそんしょう ) ・ 白勝 ( はくしょう ) と一緒に強奪しました。

梁山泊2代目首領晁蓋

だが、晁蓋はすぐに追われる身となります。この時に、晁蓋を逃がしたのが 宋江 ( そうこう ) です。ここでようやく主人公が登場します。

宋江は 呼保義 ( こほぎ ) と呼ばれています。このあだ名は、専門家でも意味が分からないようです。 宋江 ( そうこう ) のおかげで、晁蓋たちは 梁山泊 ( りょうざんぱく ) まで逃げることに成功します。

ところが、首領の 王倫 ( おうりん ) は度量の小さい男であり、晁蓋のように才能がある男が仲間になることを良く思いません。金だけ渡して、さっさと追い出そうとしました。

この時、以前から王倫に対して好感を持っていなかった 林冲 ( りんちゅう ) が王倫を殺害しました。その後、 林冲 ( りんちゅう ) の推薦により 晁蓋 ( ちょうがい ) が2代目 梁山泊 ( りょうざんぱく ) 首領に就任します。

罪人宋江

今度は宋江が追われる身となります。宋江には 閻馬借 ( えんばしゃく ) という 妾 ( めかけ ) がいました。好きで囲っていた妾ではなく、頼まれたから囲っただけです。 閻馬借 ( えんばしゃく ) は宋江が梁山泊と繋がりがあることを知ると、宋江を脅しました。怒った宋江は口論となり、とうとう閻馬借を殺しました。やむを得ず、宋江は逃亡しました。しかし、父から自首を勧められたので最終的には自首しました。宋江は 江州 ( こうしゅう ) (現在の 湖北省 ( こほくしょう ) 宜都市 ( ぎとし ) )に流刑にされました。護送の途中で様々な豪傑と交流をします。

江州での戦い

江州に到着した宋江は牢役人の 戴宗 ( たいそう ) と 李逵 ( りき ) に出会います。 戴宗 ( たいそう ) は1日800里を走る神行法という技を持っていることから、 神行太保 ( しんこうたいほう ) と呼ばれています。李逵は自黒であることから、 黒旋風 ( こくせんぷう ) と呼ばれています。

要するに落書きです。今だったら、絶対にネットでバッシング受けますよ。これを通判の 黄文炳 ( こうぶんへい ) という男が読みました。余談ですが通判とは知事の監察を行う役職です。マンガでは副知事と注釈で書くことが多いですが、全く違います。話を戻します。

宋江の詩を読んだ黄文炳は、内容が反逆に関することだったので、すぐに密告に行きました。結果、宋江は反逆者として捕縛されます。助けようとした戴宗も失敗して捕縛されました。宋江と戴宗に下された判決は死刑でした。宋江と戴宗の危機に梁山泊が助けに入り、どうにか2人を救出しました。この時の戦いで多くの人が 梁山泊 ( りょうざんぱく ) に加入しました。

多くの敵を破り仲間を増やす

梁山泊に加入した宋江は、その後多くの敵を破りました。 祝家荘 ( しゅくかそう ) の村長の 祝朝奉 ( しゅくちょうほう ) とその一族、高俅の従弟の 高廉 ( こうれん ) 、 呼延灼 ( こえんしゃく ) 率いる連環馬・・・・・・戦っていくうちに仲間も増えていきます。自然に加入する者、説得されて降伏する者もいました。梁山泊は北宋において、一大勢力となったのです。

晁蓋の死

ある日、梁山泊を倒して名を挙げようとする 曾頭市 ( そうとうし ) の曾一族と武術師範の 史文恭 ( しぶんきょう ) がやって来ました。宋江が出ようとしますが、ここで晁蓋が待ったをかけます。

梁山泊3代目首領宋江 そして108人へ

その後、宋江は北京大名府の富豪の 盧俊義 ( ろしゅんぎ ) を新しい首領に推薦します。 盧俊義 ( ろしゅんぎ ) は 玉麒麟 ( ぎょくきりん ) と呼ばれている豪傑です。盧俊義は梁山泊に加入して、また宋江たちの敵である 史文恭 ( しぶんきょう ) も討ちますが首領は辞退します。

梁山泊官軍に編入される

そこで 燕青 ( えんせい ) の力を借りることにしました。燕青は背中に立派な刺青をしており、音楽・武術・方言・歌舞に通じていることから 浪子 ( ろうし ) と呼ばれていました。燕青は徽宗の愛人の 李師師 ( りしし ) に接触して、梁山泊はただの賊ではないことを伝えました。また徽宗とも面会しました。この密会の結果、梁山泊は許されて 官軍 ( かんぐん ) に編入されることになります。

無敵の梁山泊

まず最初に戦ったのは北方の 遼 ( りょう ) (916年~1125年)です。これには、あっさりと勝ちました。

仕方ないので高俅たちは 河北 ( かほく ) で暴れている 田虎 ( でんこ ) が率いる反乱軍の討伐に行かせました。ところが高俅たちの予想を裏切って、梁山泊はあっさりと勝利します。梁山泊が次に挑んだのは、 淮西 ( わいせい ) の 王慶 ( おうけい ) です。

高俅もきっと同じことを思ったでしょう。最終手段として高俅は江南の 方臘 ( ほうろう ) の乱の鎮圧を宋江に命じました。方臘の乱は史実にある反乱であり、北宋史上最大の反乱と言われています。ちなみに、宋江たちはこの時点まで恩賞が全くありません。

梁山泊の最後

宋江の死

ある日、宋江に酒を送りました。中には水銀が入っていたのです。名目は皇帝からの祝いの酒となっています。 宋江 ( そうこう ) は迷うことなく、その場で飲みました。ところがしばらくすると、体調が悪くなりました。宋江はそこで、毒を飲まされたと悟ります。

宋江にとって気がかりなのは、義弟の 李逵 ( りき ) です。自分が殺されたと知ったら、きっと反乱を起こすに違いありません。そこで李逵を呼んで同じ毒を飲ませました。要するに道連れにするのです。

李逵 ( りき ) は何も怒りません。宋江と一緒に死んであげることにしました。それからしばらくして、2人は息を引き取ります。

一方、 徽宗 ( きそう ) は夢枕に李逵が立って怒っていたので不審に思って宋江の死を調べました。果たして、 高俅 ( こうきゅう ) たちの仕業であることが分かりました。しかし、今までの功績から処罰は何も出来ませんでした。

こうして『 水滸伝 ( すいこでん ) 』は幕を閉じます。

宋代史ライター 晃の独り言

・宮崎市定「宋代官制序説―宋史職官志を如何に読むべきかー」(初出1963年 後に『宮崎市定全集〈10〉宋 』 1992年所収)

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