ストーン・リバー
トピックス 1 手帳をチェックすると、病院通いの記録ばかり。退院後は、足の機能回復のために歩くのが日課になり、暑い夏は、梅田の地下街を歩き、暑さが和らいだ 9 月後半からは、ジョギングも始め、集会やデモにも出かけるようになった。このままいけば、病院とオサラバかなと思ったら、天敵が出現!寒くなり、足の血流が滞り、傷口がじんわり痛むようになった。「ケガから初めての冬はそんなものだ」と、リハビリの理学療法士は言う。「最悪は切断という大きなケガだったからね」とも。そうか、春になるまでは辛抱だなと言い聞かせる。 2 入院中のベッドで、自宅療養している一雄さんを思い浮かべ、異床同夢だなあと、「ベッドは違えど見る夢は同じ」と詠んだ。しかし、事態は急転し、一雄さんの逝去! 4 月の追悼集会に駆け付け、お別れをした。さっちゃんには、 5 月と 10 月の東京での市民集会、尼崎講演会 (10/17) と、 4 度会った。表情も少しずつ明るくなり、元気を取り戻しているかな? 3 豊中では、追悼街宣 (4/12) と 5 月と 10 月の市民アピールデモ、竹下弁護士講演会 (10/1) などを取り組んだ。一雄さん急死の衝撃は、かつて狭山に関わった人を奮い立たせ、現役世代をも動かしつつある。この流れを大事にしたい。 4 蛍池支部の前田勝正さん(一雄さんと同年)が、 2024 年 12 月に亡くなった。支部結成 (1973 年 ) から書記長を、退任後は「リバティおおさか」のボランティアガイドを務められた。狭山はもちろん、「部落地名総鑑」や「差別墓石」「人権展」、差別糾弾闘争、対市交渉など、いろんな場面でご一緒したことを思い出す。研究熱心で、独自の視点で部落問題を語り、エネルギッシュで各地の集会や大会でも熱弁をふるわれた。詩を書く「文人」でもあった。体調を崩されていたと聞き、積もる話をしたかったが、間に合わなかった。私と豊中の部落解放運動をつないでくれた、大切な人がまた一人いなくなってしまった。 5 「週刊金曜日」 934 号( 2013 年 3 月 8 日)で田中優子さんが、「二人の役者の死」というコラムで書いている — 「 12 代目市川團十郎が亡くなった。舞台では拝見してきたが、思わぬ縁で、生前おめにかかったことがある。 2010 年 8 月、『出叛・人権差別問題懇談会 20 周年』で、團十郎は『歌舞伎と團十郎』という講演をおこなったのである。これは歌舞伎役者が被差別民であったことを前提にした講演だった」「『被差別』の意識を持ち続けていた 12 代目市川團十郎の死は、新歌舞伎座の誕生とともに、歌舞伎が差別を完全に忘れ去る時代になったことを意味するかもしれない」「もうひとり、 18 代目中村勘三郎が亡くなった。この人も生前、『歌舞伎役者は河原者』という意識を明確に持っていた。先代の教えであったという。どれほど歌舞伎が権威的になろうと、役者は客を喜ばせる存在であり、決してエライ者ではない、という姿勢である。代々の勘三郎が持っていた道化としての味は、そこからきている。その芸には猿若の発祥に見られるような道化の系譜、狂言の系譜、音頭取りや民衆芸能の系譜が生きていた。それもまた新歌舞伎座の出現とともに消え去ったのかもしれない」 — 歌舞伎役者は、今でこそ華やかにスポットライトを浴びているが、元々は、「河原者」と呼ばれた被差別民で、江戸では穢多頭・弾左衛門の支配下にあった。今、 「国宝」が大ヒット中 だが、歌舞伎のルーツ(被差別)が顧みられないのが残念だ。四条大橋に立つ阿国は何思う。 6 タモリが「新しい戦前」と言った 2022 年から 3 年。解釈改憲が進み、軍事費は膨張の一途。南西諸島には自衛隊が配備され、ミサイル基地が並び、各地に弾薬庫がつくられ、戦闘機が配備されるなど、「新しい戦中(前夜)」と言えようか。天下の悪法と言われた「治安維持法」が、「スパイ防止法」として自民・維新・国民・参政・保守などによって、蘇ろうとしている。 標的は「スパイ」ではない。戦争に NO !と言う「私」であり、「あなた」だ。 7 今年は、豊中支部再建 60 周年( 2027 年)に向けて「頑張る」、狭山の展望を「拓く」、ケガから「全快する」、そんな年に!そして、部落問題を学ぶための新たな取り組みを、新しい人たちとすすめているが、これに「希望」をかけたい。時代も状況も逆風だが、「病」「悲」「怒」の 2025 年から、「遊」「楽」「笑」の 2026 年にしたい。
by sayamaziken | 2026-01-13 09:41 | 2026年1月 | Comments( 0 )